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zoom RSS 四熊ヶ岳から嶽山へ周回。

<<   作成日時 : 2019/02/05 21:59   >>

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 四熊ヶ岳を『防長百山』では、日向の高千穂峰の三ツ嶺ドライチンネに見立て件がある。なるほど、中央に本峰がすくっと立ち南峰(肩)と法師ヶ岳を従えた三峰から成る山容は、規模こそ劣るが言い得て妙かも知れない。 
 その秀麗なフォルムは周防小富士とも呼ばれ、徳山や新南陽の市街から日常においてしぜんと目に入る。それは、前景に煩雑な藪山で遮られることなく独立峰の呈よろしく見られるからだ。
 皿山の福川駅通り交差点から、国道2号線大神交差点より北上する国道489号線へショートカットする車道が、若山から延びて来た陶の道を横断するあたりに駐車余地がある。そこより北へ小畑に向かって歩き出す。
 国道489号線を横断し、奥四熊の徳山CCに至る車道坂道を行く。途中、道の切通しが開けたところがあり、今から登る四熊ヶ岳が迫って見える。坂道は蛇行しながら続き、やがて峠に着くと右側に送電線高架塔への巡視路があり辿って行く
 竹林を暫らく行くと小径は二分している。ここでは右側の小径を行ったが、ほどなく消滅した。しかし、足下に藪のない照葉樹林のなか尾根の高みを外さず辿ると高架塔No.24のある場所に着く。どうも左側が本道であったらしく、高架塔No.24あるいは四熊ヶ岳山頂へ行けるらしい。
 小さな祠(杵崎社)が立っている高架塔No.24の場所は西北に視界が開け、西に大平山・望海山や北に石ヶ岳等が見渡せる。樹林に包まれて展望に恵まれない四熊ヶ岳にあっては稀有な場所であろう。しかし、快晴ながら霞がかかり稜線の輪郭が朧気であったので撮るのを止めた。
 高架塔を過ぎ平坦になった尾根を進むと壊れた石祠や石燈籠が突如的に現れた。山頂の四熊ヶ岳神社は北麓の庄原にある四熊嶽下大権現社に対し、上大権現社の位置付けにあるそうで、四熊ヶ岳は古くから山岳信仰の山とされてきたと云う。 
 山頂をあとに庄原分岐に下りるまでに不動明王石像のある場所に寄り道した。畳岩と呼ばれる垂壁岩が何とも珍景観である。獅子岩等の奇岩が散在する庄原分岐を過ぎ鳥居が見えて来ると見所ヶ原だ。地名から察すると、昔は植林がまだ成長していなくて広谷集落を見晴らすことが出来たことだろう。
  見所ヶ原から四熊ヶ岳登山口がある広谷側に下る。車道終点には金明水という湧水が流れ出る暗渠がある。付近には見事な野面石積みがあり、古人の偉業を偲ばせる。
 広谷集落はいたって傾斜地にあり、狭小な面積の一枚田が段々畑状に開墾され、よくいうところの棚田となっている。その棚田を守る何層もの石垣は素晴らしいものがあり、これぞ稲作文化が造りだした独特な景観美と云ったところだ。野石や雑石を拾い集めコツコツと永年かけて積み上げた先人達の労力には感心するばかりだ。稲作用水はもちろん暗渠から流れ出る金明水であろうから、ここの棚田米は格別の味がすることだろう。
 山陽自動車道の富岡・嶽山トンネルの間の高架橋を渡り、小畑集落に出て神代川を横切り、国道489号線に合流した。その先、大神から新堤の住宅地を経て丸山歩道橋北詰の嶽山平野登山道口まで、車道沿いの長い歩道歩きとなる。途中で中溝交差点近くのセブンイレブンで行動食とすべき糧秣を調達する。山歩きの最中セブンイレブンに寄ることができるとは、さすがに街ヤマ登山ならではのことである。
 久し振りに嶽山に登ったが、以前に増して人の手が加わっているようである。特に、周南市街を見下ろす展望地の東北峰は伐採してあり、小屋らしきものも造られていた。こんな傾向は、どこか莇ヶ岳山頂の思惑と似通っているような。東北峰から照葉樹林に覆われた北尾根を下り、陶の道に出て駐車地点に帰着する。


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永源山公園より見る四熊ヶ岳


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福川駅通り交差点から国道489号線へ抜ける車道余地付近


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国道489号線から奥四熊・徳山CC方面への車道分岐


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羽山分岐付近より見る四熊ヶ岳


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車道峠にある送電線高架塔巡視路への取付付近


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取り付いて暫くは竹林の巡視路を行く


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巡視路を外れ西尾根直登状況


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巡視路を外れ西尾根直登状況


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西尾根上の送電線高架塔No.24


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高架塔・国鉄新徳山線No.24を過ぎ参道へ至る尾根状況


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西尾根の半壊した参道の祠や石燈籠等


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西尾根山頂直下の参道


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四熊ヶ岳山頂 2019/02/05 10:21
 三角点の傍らには旧海軍省の徳山要港境域標第二八号が立っている。連番が附ってあるということは、徳山要港防備図に載っている砲台及び照聴所・特設見張所等を囲む山には、このような境域標が立てられているのかも知れない。


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山頂の四熊ヶ岳神社


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四熊ヶ岳山頂南面の切り開き


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東尾根上段の鳥居・石燈籠等


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不動明王石像


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石像直下の岩壁(畳岩)


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東尾根中段の鳥居・石燈籠等


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奇岩が散在する庄原分岐付近


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見所ヶ原付近の尾根道


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鳥居と軍人墓が立つ見所ヶ原


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見所ヶ原、奉天会戦従軍兵卒の墓
 見所ヶ原鳥居の傍らには、先が尖った方錐形の軍人墓が南に向かって立っている。この墓は、日露戦争(1904-05)で日露の雌雄を決した最後の陸戦、奉天の会戦(1905/2/21-3/10)で戦死した一等卒の墓である。墓碑を読むと、あの「坂の上の雲」の主人公のひとりでもある騎兵少将の秋山好古が、日本軍を辛くも勝利に導いたと云う黒溝台会戦(1905/1/25-29)にも従軍されている。(山口歩兵第四二連隊が属する第五師団は、黒溝台会戦秋山支隊の援軍第八師団に増援される)その後、奉天会戦に転戦し奉天近郊の沙沱子であった戦闘(1905/03/09)で戦死されたと刻まれている。この沙沱子の戦闘は激戦を極め、山口歩兵第四十二連隊の死傷率三分の一という壮絶さであったと云う。将校伝令に発出した連隊副官及び連隊長までもが戦死するという戦況がその難戦を物語る。斯くも郷土のために異国の雪原に身を捧げて下さった英霊に捧げ筒!

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広谷登山口付近より見る四熊ヶ岳


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四熊ヶ岳を後背に水仙の花が石垣に垂れる


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暗渠より流出する金明水


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金明水付近の野面石積み


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広谷集落より見る四熊ヶ岳と棚田


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山陽自動車道跨道橋・広谷橋より見る富岡トンネル



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神代川を横切り広谷橋高架下付近で国道489号線に合流


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国道489号線側道より見る小畑小学校(廃校)を前景に四熊ヶ岳


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大神から新堤を経て国道2号線中溝交差点へ抜ける市道


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新堤付近より見るこれから登る嶽山


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国道2号線・中溝交差点付近(右後方・永源山)


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丸山歩道橋北詰にある嶽山平野登山口


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平野口登山道状況


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平野口登山道状況


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福川・温田口登山道分岐がある平野集落石鎚神社講祠小平地


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嶽山山頂 2019/02/05 14:01


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嶽山東北峰山頂


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東北峰より見る新南陽・徳山市街


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照葉樹林下の嶽山北尾根道


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小畑に抜ける陶の道鞍部、四叉路


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陶の道、小畑方面入口がある市道駐車余地に帰着


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周南大橋を前景に嶽山と四熊ヶ岳・法師ヶ岳


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四熊ヶ岳〜嶽山周回、概念図


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嶽山とJR西日本105系電車


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亀ヶ岬より見る嶽山と山頂重なりの奥に四熊ヶ岳

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