オミナエシ(女郎花)オミナエシ科オミナエシ属 多年草

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 オミナエシに「女郎花」の字を当てるのはいかにも気の毒だという意見をよく聞くけれど、それはどうだろうか。女郎とは必ずしも遊女を指すとは限らない。『広辞苑』によれば、(一)男子のような才気の女、(二)女子の総称、とあって、(三)に初めて遊女となっている。また、女郎は上臈(じょうろう)が転訛したものといわれる。「上臈花」とすれば、あの楚々とした気品のある姿にはぴったりなのだが、ツンと澄ました感じがちょっと気になる。ままならぬ境遇の中でひたすら耐えて過ごした女性たちに思いを馳せれば「遊女花」でもいいのではないか。
 オミナエシはオミナメシの転訛ともいわれる。細かく密集している花序の丸っこいひとつひとつをコメ粒、アワ粒に見立てたものだろう。方言も全国的にアワバナ・コメバナ・ムシアワなどが多い。県内でも長門ではコゴメバナと呼ぶという。(『山口県植物誌』)オミナエシ科の花はすべて姿かたちはそっくりで、朱のカノコソウ、白のオトコエシ、黄のオミナエシとすっきり分かれているのも面白い。高山植物のキンレイカは科のエリートで、それこそ「上臈花」にふさわしいかもしれない。
 県内に自生するこの科の草はオミナエシ・オトコエシ・オトコオミナエシ・カノコソウ・ツルカノコソウ・ノジシャの六種で『山口県植物誌』のランクによると、オトコオミナエシは<稀>、カノコソウとノジシャは<やや稀>、あとは<普通>となっている。私自身の経験ではオミナエシ、オトコエシはどの裏山でも気軽に見かけるがカノコソウは秋芳町の桂木山で一度お目に掛かっただけだ。例の『植物誌』での採取地を見ても大島の嘉納山を除いてはすべて長門地域に限られている。
 さて、オトコエシはもちろんオミナエシから派生的につけられた名だろう。全体に大がらでずんぐりしており、太くてがっしりした茎にはちゃんと毛が密生しているのも御愛嬌、毛脛(けずね)ではなく毛茎というところか。
 オトコオミナエシは両種の交配雑種でその中間形を示し花は淡黄色とのことで、前述のようにランクは<稀>で、採取地は仁保の荒谷が一ヶ所だけ記載されている。男装の麗人というべきか、シスターボーイというべきか。
 風情が抜群なのはやはりオミナエシで、ほっそり、すんなりと高く、他の草花と群れ絡んでいても風にそよぐ率がひときわ高く、絶えずひそかに揺れている。
 “ひょろひょろとなお露けしや女郎花”(芭蕉) 
 “何ごとのかぶりかぶりぞ女郎花”(一茶)
 俳諧の両巨匠が期せずして擬態語を組み込んでいるのも、このような楚々とした姿態のなせるわざなのだろう。

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恐羅漢山から台所原へ。

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 タテヤマコースから恐羅漢山に登る。ひょろひょろっとした肢体に黄色い粟粒の頭が重そうなオミナエシが微かな風に揺れていたり、ようやく蕾が開き始めたハギが紅紫色の花を咲かせようとしていたり、ゲレンデの草原は早や初秋の気配に包まれていた。
 恐羅漢山頂は誰ひとりといなく静まり返っていた。あいにくと今にも雨が降りそうな曇天であったので山頂からの展望はすこぶる悪かった。晴れていたら北面に拡がる高岳・比尻山・弥畝山ブレード・臥龍山等や深入山・阿佐山方面もどんよりとした天候ではっきりしない。
 恐羅漢山山頂をあとに台所原分岐より、ブナを主体とする夏緑樹林帯の小径を台所原に下った。分岐は四叉路になっており亀井谷への三十三曲り道や、中ノ川山・天杉山方面のササが刈られていた。
 キレンゲショウマの花は既に盛りを過ぎており、葉だけが旺盛に茂り落花したものが多かった。この場所は亀井谷の源頭部付近特有の急峻な地形をしており、沢に下降するのは細心の注意を払う必要があろう。「天涯の花」とも云われるこの花は、最近頓に持て囃されているらしい。
 台所原分岐へ戻り中ノ甲林道終点へと下り、管理道を通り早手のキビレに上がる。夏焼のキビレへ下るべく尾根道を歩いている頃からポツポツと雨が落ち始めた。夏焼のキビレ付近に立つ大きなブナに立ち寄ったあと、緑陰の登山路を牛小屋高原へと急ぐ。

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恐羅漢スノーパーク、タテヤマ第二ペアリフトコース。


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タテヤマコース登山路の状況。


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旧国設スキー場ヒエバタコーストップへの分岐点。


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尾根道到着、夏焼のキビレ分岐。


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恐羅漢山山頂 2019/08/18


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山頂からの北面展望。


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台所原分岐。


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台所原へ下る登山路の状況。(以下の画像も同)
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台所原分岐。


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台所原より亀井谷へ下降した樹林帯。


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亀井谷を俯瞰。


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亀井谷に下降したあと沢を渡渉する。


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キレンゲショウマ


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中の甲林道と管理道の分岐。


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管理道の状況。


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管理道終点、早手のキビレへの上り。


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早手のキビレへの登山路状況。


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早手のキビレ。


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夏焼のキビレ。


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夏焼のキビレから砥石川山登山口の間にあるブナ。


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夏焼のキビレから牛小屋高原に下る登山路の状況。


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牛小屋高原へ帰着。カヤバタエコロジーコース。

ウバユリ(姥百合)ユリ科ユリ属 

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 県内に自生するユリ属の仲間はヒメユリ、ササユリ、ウバユリ、オニユリ、コオニユリの五種だけだ。(『山口県植物誌』)ほかにチゴユリ、ナルコユリ、などもあるが、これらはユリ科ではあってもユリ属ではない。
 五種のうちのヒメユリは『山口県植物誌』では“やや稀”のランクに属しており私はまだお目にかかったことがない。あとはすべて“ふつう”にランクされている。
 シャクナゲやイワカガミなどのあとを受け梅雨入りとともに姿をあらわすササユリは湿気の多い尾根などでひと月を過ごし梅雨が明けるとひっそりと消えてゆく。これと入れ替わりに開花するのがオニユリ、コオニユリで炎天下を耐え抜いて夏を彩る。蔭地を好むウバユリはあのイカツイ姿態のように生命力は強靭でササユリ、オニユリの両花期を通じて咲き続ける。
 小雨の中、わずかにうつむいて開く、ほんのりと薄紅をさしたような淡いピンクのササユリが羞じらう乙女の姿を思わせるとしたら、あえて炎天にいどむように鮮やかな橙紅色の花弁をそり返して群生するオニユリ、コオニユリは邪気を知らぬ童子にも似ている。
 これらにくらべるとウバユリは一切が異様でごつい。葉は大きく、長い柄で四方に張り出し、中空の茎は太く高く直立し、そこから水平に雁首を伸ばした緑白色の半開きの花はいかにも面妖で、その名の如く山姥を彷彿とさせる。

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 私が最初にウバユリに出会ったのは、どこの山だったか忘れたが、沢沿いのうす暗いスギ林の中にあった崩れた炭焼小屋のまわりだったので、何とも薄気味悪く、恐る恐る近寄ったものだ。しかし、その後、近くの裏山や町外れの社叢などにも至って気軽く澄みつくこの花にしげしげと出会っているうちに、その無骨さに滑稽な親しさを感ずるようになった。貫禄のありすぎる身体をもて余し、周囲の眼を気にして無器用にテレている人の良いオバタリアンにも見えてきた。
 ウバユリは花が開くころには葉(歯)がすでに落ちているので姥の百合と名づけられたとも言われるが、これはどうも眉唾で、私が県内で出会った限りでは花と葉はちゃんと共生していた。とくに青海島の西端、高山の山頂一帯に群生していたウバユリは花も葉も若々しく真夏の木漏れ日の中でムンムンと植物ホルモンをまき散らしていた。

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 なお、“やや稀”のヒメユリは、かってはむつみ村千石台が群生地として知られていたが昭和四十年代後半から激減、このため昭和六十年、県農業試験場で球根の増殖に取り組み五〇〇個生産に成功、そのうち二〇〇個を千石台に移植したとの記事が当時の新聞に載っていたが、その後どうなったことか。

一本のトマトを栽培。

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 数本植えても鹿や猿等に喰われるおそれがあったのでダメモトで1本だけトマトの苗を植える。随時、生育状況を更新する。

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5月10日苗植付け。

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6月18日(1ヶ月9日後)雑草に被われる。

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6月26日(1ヶ月17日後)花が青い実になる。

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6月26日(1ヶ月17日後)最下段の最初に生った実の状況。

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7月6日(1ヶ月27日後)最初の実は赤く熟し、中段には数個の青い実が生る。

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7月6日(1ヶ月27日後)最初の実を収穫。

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7月6日、中段の青い実。獣の食害に遭うことなく採り頃まで残っていればよいが?

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7月17日(2ヶ月7日後)いつまで経っても赤くならない実。今年の梅雨は日照不足なので、このまま赤く熟さずに青い実のまま腐ってしまうのでは?

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7月24日2段目の実が強風に煽られ熟す前に落下。

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8月4日(2ヶ月24日後)このところの酷暑でやっとトマトらしく赤い実になった。

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8月13日(3ヶ月7日後)これから順次青い実もこのように赤くなり収穫どきになることだろう。以後、当ページの更新は終了。

サツマイモの栽培。【随時更新】

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 最近、頓に関心を持ち出した焼き芋の芋を自主調達すべく栽培に挑戦。抑々、生来の飽き性ゆえ野菜を育てるのは大の苦手であり、おそらく植えっ放しで雑草茫々になるであろうが。サツマイモを買うため立ち寄った産地直売所で、季節柄、店頭に並べられた苗が目に留まり衝動買いする。なお、今回は苗の植え付けまでだが、今後、秋の収穫まで随時更新されるであろう。

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 永らく放置していた休耕田を機械で耕し畝を作る。サツマイモの用土は弦ボケにならないよう肥沃な土より、砂地状の痩土が良いそうだ。当該地はもともとは田だったので粘着性があり、固まると粒度が荒くなりサツマイモ栽培には適さない。過去の経験から土が硬いと表面が凸凹になり歪な形になるからだ。4月23日、苗を植付け。

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鳴門金時の苗 10本

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秋には、こんな感じで収穫すべく目標の既製品。

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 苗を植え付け後、養生のため休耕田に生えていた茅を刈って覆う。ふつうはマルチを使用するところであろうが、収穫後の廃棄処理が面倒なので天然素材を使用する。その代り、雑草との格闘が必至になることであろう。

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2週間後、葉の色が変わり苗が立ってきて根付いたもよう。


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2週間後、安納芋10本追加、周りを耕耘除草。


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4週間目に危機勃発、第1弾!
鳴門金時の苗が切れていた。害虫かと思いきや鹿の仕業だという。


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4週間目に危機勃発、第2弾!
 安納芋の苗が立ち枯れ。日照りで水不足か?サツマイモは飢えっ放しでよいと思っていたが、このところの日照り続きで水不足が原因か?


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1ヶ月後のサツマイモ畝、苗が分からない位に雑草が生えてきた。


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1ヶ月後、鹿に喰われずに残っていた鳴門金時の苗。


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植付け12日後、枯れずに残っていた安納芋苗 
(鳴門金時より2週間後に植付け、畑通期では1ヶ月後)


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約2ヶ月後の状況、憐れ草茫々に。


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雑草を抜き苗を顕わにしていたところ、またしても獣害に。


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前回、鹿に喰われずに残ってい苗が再び鹿に喰われていた。
今回は畝に蹄の跡が残っていたので犯人は鹿と断定!


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鹿による食害は他にもあり、畑に植えていたコスモスの先端も喰われていた。種から育てたコスモスだったのにせっかくの手間暇が水泡に帰してしまった。また、苗を買って花壇に植えていたサルビアやインパチェンス等の花も喰われていた。鹿もよく心得ているもので害虫に対し忌避性のあるマリーゴールドや匂いのきついハーブ系は喰わずにいた。いちばん悔しい思いがしたのは気に入っていた自生のギボウシの葉が全て綺麗に喰われたことだ。
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鹿に喰われたギボウシ


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鹿に喰われず残っている貴重な苗。


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7月24日(3ヶ月2日後)畝の周囲を獣害対策として網目の柵を作製。


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畝を除草したところ、鳴門金時4本安納芋2本が現れる。除草後に茅でマルチを施す。


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7月24日(3ヶ月2日後)鹿の食害を逃れ畝に残っている苗。


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8月4日(3ヶ月13日後)柵のおかげで鹿の食害が避けられ残っていた苗が安定する。


十種ヶ峰、福谷池・名賀越え・山芍薬。

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 十種ヶ峰へ福谷池コースから登り、併せて今が見頃らしい神角の山芍薬の自生地を訪ねる。福谷池への林道は、幅員が狭く離合が困難なうえ石がゴツゴツ露出し路面が荒れている。そこで、車を乗り入れるのを止め長い林道歩きとなる。福谷池堰堤より、萌黄色の新緑と謎めいた湖面を前景に、目指す十種ヶ峰の尖峰が見える。
 堰堤上を通り左岸湖畔沿いの小径を辿ると山口・島根県境の名賀(なよし)越えに着く。この県境峠より十種ヶ峰東南山腹に開削された古い林道を登って行く。以前は伐採後でまだ眺望もあり、名賀越えより県境尾根を直接登っていた。
 林道終点からは県境尾根に残っている小径を辿って行く。ここから先は十種ヶ峰の秀麗な山容がよく眺められ、尾根歩きの急登で疲れた体を癒してくれたものだが、今では植林の生長で爽快な景色は失われている。
 神角コース分岐から、本州西限地と思われるブナが点在する夏緑樹林帯の尾根を下る。尾根の途中に主ブナと呼ばれる太い幹のブナが立っていた。尾根を下り切ると神角コースと別れ、底の抜けた堰堤が見られるザレ場から山芍薬の自生地を登って行く。光沢のある緑葉の波に乗っかったヤマシャクヤクの花は、清楚な白い花弁と黄色い葯の調和がとても綺麗である。カタクリを見終わってさびしい気持ちになることもなく、リレーして元気にさせてくれるヤマシャクヤクの花を見れるのも、地域の方が自生地を手厚く管理されているからであり、感謝の至りである。
 山芍薬を観賞しながら登っていると、いつの間にか再び県境尾根に出た。その先は植林帯もなくなり、やっと山頂が顔を見せてくれ新緑のなか快適な登りとなった。振り返ると、先程通った新緑に萌えるブナ尾根や山芍薬の浴が俯瞰できた。
 山頂へ到着すると、目を惹く綺麗な蝶(キアゲハ)が舞っていた。一等三角点の標石を一瞥し、チュウゴクザサに覆われた北東尾根へと急ぐ。切開きが終了したあたりからチュウゴクザサを漕ぎ、名賀から延びる林道を目差して下降する。
 林道へ降り着きほっとしたのも束の間、名賀越え方面へは土石流で林道が流されたらしく寸断していた。河床が深く切れ込んでおり渡るのは危険であり、若い時ならいざ知らずここは自重した。そこで、林道と別れ枝尾根を辿って津和野町名賀側の県道13号線へ下りる。下りた場所は、名賀地域センターより数百メートル上側で、重連の堰堤があった。
 県道13号線を希望(のぞみ)橋を渡り、愛宕神社がある白井へ出る。山口線は直ぐそこで、何でもここはSL撮影のスポットらしく撮り鉄がカメラの放列を布いて待機していた。
 白井より島根・山口県境峠の徳佐越えの鞍部を目差す。地図では破線だが、前半は古い林道である。しかし、鞍部に近づくに連れ林道は消滅する。鞍部には古い道標があり、防石との往来道であったことを物語る。
 徳佐の田園地帯を通り、東面に展開する高岳山から三ツヶ峰の稜線を見ながら出発点の福谷林道に戻る。
 あとから地図で振り返ると、名賀地域センター付近より名賀越えへ延びる林道を上り返し、福谷池側に下れば時間がかからずに済んだようだ。だが、また林道の寸断箇所に出会ったかも知れない。結果的に大迂回になったが、名賀から白井へ、そして徳佐越えのコースは、希望橋や白井SL撮影スポット等、知らない場所の発見があり新鮮であったのでよしとしよう。


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福谷池へ至る林道。


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福谷溜池築造記念碑。


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福谷池より見る十種ヶ峰。


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福谷池の左岸湖畔にある名賀越えへの小径。


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福谷池北端より堰堤方向を見る。


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福谷池北端、土留めに栗石蛇駕籠が設置された堆積帯。


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福谷池上流の渓流。


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福谷池上流から名賀越えへの小径。


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名賀越え 資材倉庫や廃車(乗用車・2tダンプ)バックホーあり。


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名賀越えから延びる十種ヶ峰南面山腹への林道。


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十種ヶ峰、山口・島根県境(東南)尾根の林道終点。


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十種ヶ峰、県境尾根の状況。


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神角コースとの分岐点。


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分岐よりブナが点在する神角コースを下る。


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ブナ尾根(神角コース)夏緑樹林帯より見る十種ヶ峰山頂。


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ブナ尾根を下るときの速さからかなりの健脚とみた単独ハイカーさま。
ふと振り返ると、自分が撮り終えるまでそっと待って頂いた優しさに感激。


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登山道の傍らに立つ樹齢200年の主(ぬし)ブナ。


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ヤマシャクヤク(山芍薬)ボタン科ボタン属 多年草 
以前はキンポウゲ科であったというがボタン科に独立する。根は薬草になり鎮痛剤等に使われるという。秋には落葉。レッドリストでは準絶滅危惧種とのこと。

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ヤマシャクヤクの花言葉⇒「恥じらい」「はにかみ」 花が夕方になると、はにかむように閉じるからだという。花後は結実し、それが弾けたあとに黒い種子とグチュグチュになった赤い不稔粒の塊になる。その姿はさながらミッキーマウスの顔に似ている。

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「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」という言葉があるが、その芍薬は園芸種を指しているといえよう。個人的には、園芸種はアクの強い華麗さが漂い過ぎなので、断然、清楚系女子を感じさせるヤマシャクヤクの方に魅かれてしまう。

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5~7弁の白い花びらの内側に、根本が紅紫色の黄色い葯(雄しべ)が、中央の2~3本の花柱(雌しべ)を囲んで守り抱いている。色の付いた柱頭の先端がやや曲がっているのも特徴的である。

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雪害で歪曲したブナと山芍薬。


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山芍薬の浴(エキ)を登り切ると再び県境尾根に到着。


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県境尾根道より見る十種ヶ峰。


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県境尾根道より見る十種ヶ峰山頂。


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尾根道の傍らに咲くセンセーショナルピンクが鮮やかな三葉躑躅。


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尾根道より俯瞰する新緑で瑞々しいブナ尾根及び山芍薬の浴。


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十種ヶ峰山頂。


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山頂のチュウゴクザサに止まるキアゲハ(♀)。


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十種ヶ峰東北尾根。


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東北尾根より見る十種ヶ峰山頂。


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東北尾根上の切り開き小径終了点。


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ササを漕ぎ東北尾根を下る。


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名賀より延びる林道に降着。


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林道傍の杉に掛けられた林野庁山火事防止キャラクターの看板。


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県道13号線に下り着いた場所にある重連の堰堤。


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名賀地域センターと町営コミュニティバス停の間に名賀越え林道入口あり。


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島根県津和野町名賀の県道13号線の希望橋。


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希望(のぞみ)橋。


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名賀白井より徳佐越えへの橋を渡る。


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徳佐越えの道は古い林道だが県境鞍部手前で消滅している。


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県境鞍部の古い道しるべ標石
東面⇒右 ツワノ(津和野)カネ(嘉年)道  西面⇒左山道  
南面⇒道しるべ 北面⇒熊本県富田はどういう意味か不明?


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県境鞍部を徳佐に下ると上宇津根の堤に出会う。


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上宇津根の田園地帯に咲く蓮華。


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徳佐の田園地帯より見る高岳山。


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山口線踏切貞行付近より見る十種ヶ峰。


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上記画像近くにSL撮影メッカの「徳佐のSカーブ」があり。


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福谷川河畔の出発地に帰着。


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≪概念図・コースタイム≫

山のお菓子Vol.2・3 「永源山」 「皇座山」

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≪山のお菓子Vol.2 永源山≫

  永源山山頂には、まだ周南市と合併前の旧新南陽市の頃に、オランダ・フローニンゲン州デルフザイル市と姉妹都市提携を結んでいた関係で、山頂には「ゆめ風車」と呼ばれる日本では最大規模と云われる風車がある。 また、間欠的に噴水が噴き出る設備が施され、生命の維持に欠くことが出来ない水をテーマにした総合公園でもある。面積13.3 haと云われる永源山公園には、季節折々に心を和ませ笑顔で会える季節の花や花木が植栽されている。公園のイベントとしては、GWにフリマ等が開催されるつつじ祭りが有名である。公園を取り巻く照葉樹林の中は縦横に散策路が施され、園路と併せてウォーキングやランニングに活用されており健康増進の場としても親しまれている。

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前回掲載の嶽山と同じ菓子店で販売されている永源山(2019)
旧バージョンと比べ包み紙の絵が繊細になり抹茶味も追加

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旧バージョンの永源山(2007)


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平野港より見る永源山

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永源山山頂風車

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永源山公園


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販売店舗


【山のお菓子Vol.3 皇座山】

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 上関町室津半島の先端にある一等三角点本点の皇座山(526.7m)を菓子名にした焼菓子を見付ける。過去に登ったことがあるが、ネガフィルム時代だったので山行を記録した電子データなし。後年、平郡島に渡るフェリーの船上から皇座山を撮ったものがあったので掲載。
 上関町観光案内より⇒「源氏と平家の屋島の戦いに続き、周防の戦いが柳井市池の浦であり、安徳天皇は皇座山を越えて赤間関へ。皇座山を越えるとき、安徳天皇は山頂で一休みされたため、「皇の座する山」と言われるようになりました。山口県百名山に選ばれています。山頂の皇座山稲荷は商売繁盛祈願に参拝する人が多いです。」

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コラボ 嶽山・皇座山

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販売店舗

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皇座山

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皇座山

錦川清流線と夢街道。

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 岩国駅から北の錦町広瀬駅間に敷設された錦川清流線の南河内駅は、桜の咲く季節に先に咲いていた菜の花との共演コラボを縫って、個性的にペイントされた気動車が走るのが見られるとのことである。そこで、何やらミーハー(死語?)的ではあるが、捨てても置けず南河内駅に行ってみた。別に鉄オタ・カメオタではないけれど俄か撮り鉄になって、南河内駅付近の田園に各々ベストポジションを確保して散開する鉄道マニアやカメラマニアらしきと見られる皆さんに紛れ込み、彩色豊かな気動車を撮った。日常の憂さを忘れ、こんなワクワク感に浸れたのも、私有地である田圃に無断で入ったのに黙認して戴いたこそであり、何を置いても感謝します。
 南河内駅に着き撮影スポットの菜の花畑へ行く途中に、西側に山容のよい山が見えてきた。山の記事を多く掲載している当ブログ管理者としては放っても置けず、さっそく山の名を推測してみた。過去に新聞のローカル面に雲霞山のことが載っていたのが頭に浮かんだ。帰って調べてみるとやはりそうであった。


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NT3004 きらめき号イエロー(ホタル)

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1両目NT3003 こもれび号グリーン(カワセミ) 
2両目NT3002 ひだまり号ピンク(サクラ)


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南河内駅から見る雲霞山


【↓夢街道】

 周南市から秋吉台方面に車を走らせていると、休耕田の中に木の端材で作った不気味でもあり微笑ましくもあるオブジェが見えてくる。運転中に、わざわざ車を停めてまで見るのは面倒くさかったが、停車しても通行の妨げにならない余地が近くにあったのでブログのネタに撮ってみた。どうやら河童の家族と、左甚五郎の「見ざる」「聞かざる」「言わざる」の三猿をデフォルメしたものらしい。今の後景は、まだ冬枯れの余韻を残しているが、秋ともなれば背景に華やかなコスモス花園と遠景に姿の良い山(吉部富士)を配してなかなかいい構図を醸し出す。沿道の休耕田を放っておくことなく、ドライバーの目を楽しませようとしている制作者の遊び心が窺がえる。因みに、6月(令和元年)になって通ってみると「夢街道」という標柱が立てられていた。
夢街道

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桜の花が満開の河川敷。

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 満開の時機を狙っていた河川敷の桜が、例年だいたい仕事や所用で機会を逸していたのだが、今年は都合よくベストタイムに行くことができた。当日の空は微塵も雲がない快晴に恵まれ、こんなことは滅多にない絶好の桜日和であった。だが、シャッターを押した瞬間はしめたと思ったのだが、こうして画像で見ると平凡に映り、やっぱりリアルタイムに見た感動ほど優るものはない。

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モウソウチク(孟宗竹) イネ科タケ亜科マダケ属 常緑多年草

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 岩国市の明橋、錦帯橋を渡り吉香公園を抜けて錦川の右岸を遡ると、川筋は城山北麓を捲いて北から南西へと鋭くカーブしている。ここに拡がる広大な河原が千石原で、ここから延々と上流の南河内まで、両岸には見事な竹林が続いている。これが京都の嵯峨、岐阜の揖斐と並んで日本の三大美竹林といわれる御庄竹林で、総面積三四〇ヘクタール、この内、三分の二がマダケ、残りがモウソウチクだそうだ。
 山口県は竹材生産量では鹿児島県、熊本県に次いで全国三位、県内の竹林面積は八七〇〇ヘクタールで御庄竹林はその四パーセント、決して特筆するほどの規模ではないが、錦川の清流との絡み合いが如何にも鮮やかで、そのため全国に名を馳せることになったのだろう。

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 県内のどこの裏山に入って到るところに竹林はあり、春にはニョキニョキ伸びた筍は放ったらかし、というよりは一~二メートルのものを片っ端からなで切りにし、束にして投げ棄ててある。筍として出荷しても労力に見合うだけの値がつかず、親竹に育てても竹材の需要はほとんどないからだろう。御庄の竹材の需要も今では広島のカキいかだぐらいだそうだ。
 筍という字は竹かんむりに旬。旬は一〇日の意で、つまり筍の(じゅん)は地上に頭を抬げてから一〇日までで、それ以後は竹になってしまう。筍が竹になってしまうとわが児の生誕に一切のエネルギーを使い果たした親竹は急激に黄葉し、やがて落葉する。俳句でいう“竹の秋だ”。“竹の春”“竹の秋”と竹を特定して季語があるのは竹の場合、春秋が逆になっているからだろう。秋になると一人前に成長した若竹と競い合うように親竹も一斉に青々とした枝葉を拡げて竹冠をおおいつくす。

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横山・岩国城を背景に錦川と御庄竹林
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廃材を利用して焼き芋を作る。

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 もともとは茅葺きの古民家を解体したときに出た廃材の一部を薪割りして燃料にし焼き芋を作る。サツマイモは自給物といきたいところだったが、そのときの収穫時にこういう発想がなかったので、今回は産地直売所等で購入したものを使用。(サツマイモの収穫は秋なので保存していたものか)また、近年、猪の出没で収穫時を狙ったように芋畑を荒らされサツマイモを作るのが難しくもなった。
 まず手練りコンクリートの骨材にすべき備蓄している砕石を利用し石焼き芋を作る。その後、焚火に芋を直接投入するふつうの焼き芋を作る。勝手なもので、子供の頃はチョコレートやケーキ等の人工的な菓子の願望しかなく、ふつうに焼き芋やふかし芋をおやつに出されると食べる気もしなかったのに、今では自然派と気取り妙に焼き芋への思い入れが強くなった。

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素人菜園で収穫したある年のサツマイモ最大サイズ。


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上画像の翌年は収穫前に猪にサツマイモ畑を荒らされる。


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民家解体廃材
かなり腐蝕しているので再生材に出来ず薪に使用。


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廃材を40cm前後にチェンソーで切断。


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グラスファイバー柄のAX(アックス)で薪割り。
柄が木製である場合は斧と表現(確かではなく、かってな自論)
材の芯に打ち下ろすにはなかなか難しいが、
まぐれで芯に命中し真っ二つに割れて
左右に飛んでいったときは爽快である。
芯持ち材や節のある堅い材は一発では割れないことが多い。


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缶の火種にするための親火。
この火中にもアルミを巻いた芋を投入する。


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産地直売所で既製品を調達。
今秋は獣害対策を施し、自給物で焼き芋に挑戦の予定。


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アウトドアラーっぽくダッチオーブンを使いたいところだが、
価格を知って買う気にならず解体で出たアルミ鍋を代用する。
鍋の下に砕石20mmを敷きその上に芋をセット。
砕石の厚さは鍋の深さの半分強くらいか。
味の違いを比較するため素焼きとアルミ巻を置く。
20Lオイル缶を薪ストーブに見立て、
火力が衰えないように随時薪を燒べる。
燒(燃)べる・くべる(山口県方言)=燃やす


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鍋とお揃いの蓋はうっかり廃品回収に出したので、
隙間が出来て熱効率が悪くなるが20Lオイル缶の蓋を代用。


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芋に串を刺してスッと通れば焼き上がり(約1時間)
素焼きとアルミ巻きに味の違いは無いような?


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たかだかサツマイモ2~3個の焼き芋を作るために
チェンソーで廃材を切ったりAXで薪を割ったり薪を焼べたりして
漸くここまで漕ぎ着けた石焼き芋完成断面。
味はもちろん Yummy, scrummy !


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次にオーソドックスに焚火のおきで作る焼き芋。


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焚火から取り出したサツマイモ。
予め水に濡らした新聞紙でサツマイモを包み、
その上からアルミを巻いたものを焚火に投入した。


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焼けたのをに見計らい、おきから取り出し新聞紙とアルミを開く。
この芋は約2時間で丁度良い焼き上がりであった。


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焼き芋完成断面、味はもちろん Yummy, scrummy too !



焼杉山、ケンノジ谷。

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 遅くなった出発のうえ、周南からだと小3時間はかかるので、二軒小屋駐車場に着いたのはもう11時過ぎであった。遠いアクセスのため何とも効率の悪い山行である。(本当のところは朝が弱いため体内リズムが整うまでなかなか出掛けられない)これでは焼杉山ピストンのみの山行になっても致し方あるまい。
 サバの頭を後景にお気に入りの白樺を撮ったあと、水越峠に向かって十方山林道を歩き出した。遅い出発のしっぺ返しは行動範囲に如実に表れ、焼杉山往復だけの山行に跳ね返ってきた。
 例年なら今の時期、林道に雪がある筈なのに全く無い。殊の外、今年の冬は暖冬らしい。林道は前に来たときに比べ、新しく法面保護工が新設され様相が変わっていた。あんな場所に不似合いな廃バスは今もそのままで、しぜんに朽ちていくのを待っているかのようだ。(どうやら物置用コンテナの代用らしい)
 二軒小屋からの十方山林道は、ウマバノ谷・八百の谷・イビセン谷等の恐羅漢山から流れ出る支谷の名前を、道行く折々に同定しながら歩くのも一興である。
 十方山シシガ谷や旧羅漢山の登山口ではいつも立ち止まり、結局毎回、同じ構図の写真を撮ってしまう。水越峠を越えた細見谷側の林道は崩落した場所があったのだが、栗石が詰められた排水のよい環境に優しい蛇籠擁壁工ですっかり復旧されていた。
 砂防堰堤があるケンノジ谷に入ってから杉林の左岸を遡って行く。現在、堰堤付近には倒木があり、横たわった木の枝が邪魔になって上を跨ぐのはやっかいである。なので、山側に迂回したほうがよかろう。そこを過ぎると段差があり、右岸に渉りたくなるところだが段差を越えてしまえば平地になり、僅かに踏み跡もあって歩きやすくなる。
 トチ谷との分岐でケンノジ谷右岸へ渉り、二つの谷との間の尾根に取り付く。最初の急登をクリアすればあとはそれほど急ではない。尾根は杉の疎林であり小径はないが、灌木が薄いのでどうにか藪漕ぎを免れ歩ける。
 この尾根は後半に他の枝尾根と合流し一本になるので下るときは要注意である。尾根の高いところを忠実に辿って下ると、知らず知らずのうちに他の尾根の方へ誘引されやすい。いつもなら尾根の後半は背丈程の笹が現れるのだが、うまい具合に残雪が被りいやな笹漕ぎは無しであった。
 杉林から落葉樹林に変わる頃、二つ杉(仮称)が見えて来ると主稜も間近だ。左上方には老いてもなおマンモスブナ(仮称)が悠然と立っている。かなりの老木らしく強風が吹くたびに枝が折れるのだろうか?樹下には古びた枯れ枝がたくさん落ちている。老木と云えども貫禄充分で、兎にも角もこれまでの山行のなかで見たブナでは一番大きなブナである。
 平らな尾根の焼杉山山頂は相変わらず位置が分かり辛い。残雪があり藪漕ぎをしなくていいのがせめてもの慰めだ。しかし、それとて雪が柔らかくツボ足では嵌まってしまいあちこち歩きまわる気も起こらない。休み岩から数十メートル北へ進むと、旧知の三角点は健在であった。
 焼杉山は近隣のメジャーな恐羅漢山や十方山に比べ、展望も悪く笹漕ぎ必至で、おまけに山容凡庸でただの県境尾根にしか見えず、非常にマイナーな山である。しかし、山頂付近はブナを主体とする夏緑樹林帯に浸れるので好きな場所である。また、行く度に山頂が直ぐに分からず、笹原に埋もれた三角点を探すのも面白い。
 ということで、冒頭に遅い出発のせいにして行動範囲が限られる云々と抜かしたが、本当は体力の衰えを感じ得ずにはおられず、焼杉山往復だけで精一杯である。まあともかく短時間ではあったが、蒼空と雪原とブナが織りなす残雪期特有の山の情景に触れられたのでよしとしよう。


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道の駅「来夢とごうち」付近より左奥に残雪被る十方山東北尾根を見る


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恐羅漢公園線 内黒峠 
恐羅漢公園線 砥石川・恐羅漢山遠望 


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内黒峠から二軒小屋への下り展望所より見る比尻(聖)山・高岳


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恐羅漢公園線、二軒小屋への下りから見る恐羅漢山


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恐羅漢公園線、戸河内川恐羅漢橋南袂


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恐羅漢橋南袂より見る白樺


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二軒小屋駐車場付近の白樺 後景はサバの頭


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十方山林道 土羽(法面)モルタル・コンクリート吹付工事


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十方山林道 廃棚田杉林の中に廃バス


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十方山林道 八百ノ谷(現地ではシビト谷と表記)


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十方山シシガ谷、及び北尾根コース登山口


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旧羅漢山登山口


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水越峠
土留めはよくある無機質なコンクリートブロック擁壁工ではなく
石工の技が光って情緒的な間知石で施工されている


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布団(蛇)籠工法で崩落土羽が復旧されていた


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新たな土羽崩落箇所


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十方山林道6号橋、ケンノジ谷入谷地点


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ケンノジ谷砂防堰堤


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ケンノジ谷


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ケンノジ谷


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ケンノジ谷


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左:トチ谷 右:ケンノジ谷 二股中央の尾根を登って行く


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尾根にあるアシウスギの古切株


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尾根を登り切ると現れる笹原


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嘗ての鷹揚さを偲ばせる老いたマンモスブナ(仮称


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マンモスブナ隣接の若いブナ


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山頂笹原へ到着


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山頂笹原の休み岩(仮称)


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休み岩より見る三角点方面


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焼杉山三角点 2019/03/05 13:00


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三角点付近より見る丸子頭・奥三つ倉・十方山北峰


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山頂北のブナ巨木


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山頂北尾根より見る旧羅漢山


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十方山より見る焼杉山山頂


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十方山より見る焼杉山と旧羅漢山


 

嶽山、南東尾根コース。

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 最近、数年振りに嶽山に登った時に(若山・嶽山・四熊ヶ岳を周回等)、嶽山東北峰(363.8m)の南東尾根に小径が見受けられたので丸山町の落迫配水池より斥候に出かけた。

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丸山町、落迫配水池より見る嶽山


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光万寺墓地付近から延びる林道にある南東尾根コースの登山口


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南東尾根コース登山道口


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登山道状況


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登山道状況 Rock


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登山道状況



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登山道状況


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登山道状況 Umbrella


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登山道状況


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登山道状況 about a 250m ahead.


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登山道状況


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登山道状況 Tree house


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登山道状況


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東北峰直下へ到着 左の反射板がある山は嶽山三角点峰


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東北峰(363.8m)山頂


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南東尾根登山道の設置物いろいろ Assorted


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嶽山山頂(364.0m) 2019/2/24 9:42
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山頂をあとに北尾根へ


≪↓今回の下山はコース外により一部小径なし≫
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嶽山東尾根 二ツ岩(仮称)


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嶽山東尾根笹藪からの眺望


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四熊ヶ岳・法師ヶ岳


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送電線高架塔巡視路


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送電線高架塔巡視路


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南陽牟礼線No.6


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巡視路状況


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巡視路状況 小畑分岐


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小畑・坂根分岐鞍部


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坂根へ下る巡視路


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上:坂根最奥の開墾地より 下:坂根上の浄真寺川砂防堤より


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嶽山への南東尾根・丸山町落迫配水池コース(赤破線)
(注:東尾根、黒破線はコース外)


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嶽山と四熊ヶ岳

若山・嶽山・四熊ヶ岳を周回。

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 四熊ヶ岳から嶽山へ周回した折に、嶽山北尾根から東へ向かって大神五丁目あたりの国道489号線方面に延びる尾根が気になった。ということで、間を置かず当該尾根への斥候に繰り出した。その行程はまず陶の道から若山への山城跡へ登城したあと上迫へ下り、速やかに国道2号線歩道を移動せしめ、皿山付近の福川コースより嶽山に登る。
 嶽山東北峰から北尾根を辿って陶の道鞍部に下る途中に石を積んだケルンがある。そこより少し下った所にトンダと刻印された標石が埋設されており、ここが東尾根への分岐点である。密なる照葉樹林のなか急斜面を下って行き、二ツ岩が現れたら東尾根に乗った証拠である。そのまま尾根の高みを忠実に辿ると左にずれるので注意が必要である。尾根は視界が悪く方角を取り難いが、東側の樹林の切れ間から微かに銀色の高架塔が立っているのが見えるので、その方角を目差す。
 樹林が開け急に視界が開ける笹藪まで下ると、四熊ヶ岳や法師ヶ岳が目に飛び込んでくる。ここから見る四熊ヶ岳は周防小富士と呼ばれるだけあって、山頂を頂点に左右に均整よく流れる稜線がほんとうに秀麗(文頭画像)である。それに、東下には先程まで樹林の隙間にチラチラしていた高架塔が間近に見え、また、今から辿る東尾根の様子がよく分かるので有り難い。笹藪はとても漕いで行けそうもないので右側の樹林に入り込み下ると、明確な送電線高架塔(No.6)の巡視路に出会う。それから先、高架塔の傍らを通り巡視路を辿って行く。
 尾根が南東に屈曲する手前に鞍部があり、そこより巡視路は尾根から右(南東)に外れ、大きな砂防提のある坂根町の最奥部に下っている。鞍部には頭に「学」という字が刻印してある標石があるので目印となる。ここから巡視路と別れ真っ直ぐ登り、登り切ったら尾根を南東へと辿って行く。鬱蒼として暗い樹林のなかを進んでいるうちに突如として上京墓地が現れる。なお、坂根へ下る巡視路は途中で分岐しており高架塔(No.28)へも行ける。
 墓地には小庄下から這い上がって来た車道がある。墓地より東側の真新しい高架塔へ続く広い道幅の巡視路を進む。おそらく高架塔建設の際に、建設機械や資材運搬車が通れるように拡幅された、いわば工事用道路だったのだろう。ひとつ目の高架塔(No.28)を過ぎると、四等三角点(155.6m)が埋設されていた。次にまた高架塔(No.27)に出会ってから竹林のなかを下ると国道489号線が直ぐそこにあった。これら高架塔周辺は伐採してあり、四熊ヶ岳・法師ヶ岳や広谷集落がよく見渡せた。
 国道489号線から南に下り、日本の初代天皇と云われる神武天皇ゆかりの神上(こうのうえ)神社に立ち寄った。そこから再び国道489号線へと戻り、小畑小学校の前を通り、広谷集落を経て金明水登山口より四熊ヶ岳へ登る。
 四熊ヶ岳山頂からは、登った一般コースを引き返さず南尾根の樹林帯や竹藪のなかを下降し、広谷集落車道へ出る。その後、高速道跨橋・広谷橋を渡り国道489号線に下り、河内橋南詰にある陶の道から出発地点の花河原上の車道駐車余地へと帰着する。


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花河原より見る若山(左奥=大平山)


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市道から若山への陶の道


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陶の道


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陶の道


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陶の道


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陶の道


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陶の道


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若山城西の丸跡


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西の丸跡から山頂への登城道途中にある「纏リス君」


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若山山頂 2019/02/21 09:10


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若山城壇床遺構


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若山城二・三の丸跡


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林道若山線より見る陶の道尾根を前景に四熊ヶ岳


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林道若山線、基地局アンテナ付近より上迫へショートカット


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国道2号線上迫交差点


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嶽山福川コース登山口


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嶽山福川コースより見る嶽山南西尾根


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福川コース石鎚神社講鳥居


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福川コース登山路状況


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福川・温田コース南西尾根上の祠


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福川・温田コース南西尾根上のカンカン石


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嶽山山頂 2019/02/21 11:15


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日地コースより見る嶽山三角点峰(364.0m)と東北峰(363.8m)


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嶽山北尾根上のケルン


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嶽山東尾根への取り付き標石 東尾根の随所に境界石あり


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笹藪より見る四熊ヶ岳・法師ヶ岳及び東尾根の高架塔


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東尾根の高架塔南陽牟礼線No.6付近の巡視路


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東尾根の高架塔巡視路分岐 左←小畑 直進↑坂根 


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標石頭に「学」の刻印あり 左←小畑 右→坂根 


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東尾根が南東へ屈曲する地点(227.6m)

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墓地へ出るまでの東尾根の照葉樹林帯


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高架塔No.28付近から見る四熊ヶ岳


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高架塔No.28からNo.27への巡視路


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高架塔No.28から金刀毘羅社付近の巡視路


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東尾根の四等三角点(155.6m)


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国道489号線旧道(断線)にある高架塔No.27巡視路登降口 


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神武天皇由来の神上神社


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小畑小学校(廃校)と四熊ヶ岳


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金明水付近の四熊ヶ岳広谷登山口


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四熊ヶ岳広谷コース登山道


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四熊ヶ岳広谷コース参道


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四熊ヶ岳山頂、四熊ヶ嶽神社


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四熊ヶ岳山頂三角点 2019/02/21 14:23


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四熊ヶ岳南尾根


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四熊ヶ岳南尾根の岩塊


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広谷橋付近より見る棚田を前景に四熊ヶ岳・法師ヶ岳


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陶の道 小畑~花河原


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花河原上の車道駐車余地付近、陶の道小畑方面入口


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平野港より見る四熊ヶ岳・法師ヶ岳 前景は嶽山東尾根


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若山・嶽山・四熊ヶ岳、周回概念図


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晴海埠頭より見る黄昏どきの嶽山と四熊ヶ岳

四熊ヶ岳から嶽山へ周回。

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 四熊ヶ岳を『防長百山』では、日向の高千穂峰の三ツ嶺ドライチンネに見立て件がある。なるほど、中央に本峰がすくっと立ち南峰(肩)と法師ヶ岳を従えた三峰から成る山容は、規模こそ劣るが言い得て妙かも知れない。 
 その秀麗なフォルムは周防小富士とも呼ばれ、徳山や新南陽の市街から日常においてしぜんと目に入る。それは、前景に煩雑な藪山で遮られることなく独立峰の呈よろしく見られるからだ。
 皿山の福川駅通り交差点から、国道2号線大神交差点より北上する国道489号線へショートカットする車道が、若山から延びて来た陶の道を横断するあたりに駐車余地がある。そこより北へ小畑に向かって歩き出す。
 国道489号線を横断し、奥四熊の徳山CCに至る車道坂道を行く。途中、道の切通しが開けたところがあり、今から登る四熊ヶ岳が迫って見える。坂道は蛇行しながら続き、やがて峠に着くと右側に送電線高架塔への巡視路があり辿って行く
 竹林を暫らく行くと小径は二分している。ここでは右側の小径を行ったが、ほどなく消滅した。しかし、足下に藪のない照葉樹林のなか尾根の高みを外さず辿ると高架塔No.24のある場所に着く。どうも左側が本道であったらしく、高架塔No.24あるいは四熊ヶ岳山頂へ行けるらしい。
 小さな祠(杵崎社)が立っている高架塔No.24の場所は西北に視界が開け、西に大平山・望海山や北に石ヶ岳等が見渡せる。樹林に包まれて展望に恵まれない四熊ヶ岳にあっては稀有な場所であろう。しかし、快晴ながら霞がかかり稜線の輪郭が朧気であったので撮るのを止めた。
 高架塔を過ぎ平坦になった尾根を進むと壊れた石祠や石燈籠が突如的に現れた。山頂の四熊ヶ岳神社は北麓の庄原にある四熊嶽下大権現社に対し、上大権現社の位置付けにあるそうで、四熊ヶ岳は古くから山岳信仰の山とされてきたと云う。 
 山頂をあとに庄原分岐に下りるまでに不動明王石像のある場所に寄り道した。畳岩と呼ばれる垂壁岩が何とも珍景観である。獅子岩等の奇岩が散在する庄原分岐を過ぎ鳥居が見えて来ると見所ヶ原だ。地名から察すると、昔は植林がまだ成長していなくて広谷集落を見晴らすことが出来たことだろう。
  見所ヶ原から四熊ヶ岳登山口がある広谷側に下る。車道終点には金明水という湧水が流れ出る暗渠がある。付近には見事な野面石積みがあり、古人の偉業を偲ばせる。
 広谷集落はいたって傾斜地にあり、狭小な面積の一枚田が段々畑状に開墾され、よくいうところの棚田となっている。その棚田を守る何層もの石垣は素晴らしいものがあり、これぞ稲作文化が造りだした独特な景観美と云ったところだ。野石や雑石を拾い集めコツコツと永年かけて積み上げた先人達の労力には感心するばかりだ。稲作用水はもちろん暗渠から流れ出る金明水であろうから、ここの棚田米は格別の味がすることだろう。
 山陽自動車道の富岡・嶽山トンネルの間の高架橋を渡り、小畑集落に出て神代川を横切り、国道489号線に合流した。その先、大神から新堤の住宅地を経て丸山歩道橋北詰の嶽山平野登山道口まで、車道沿いの長い歩道歩きとなる。途中で中溝交差点近くのセブンイレブンで行動食とすべき糧秣を調達する。山歩きの最中セブンイレブンに寄ることができるとは、さすがに街ヤマ登山ならではのことである。
 久し振りに嶽山に登ったが、以前に増して人の手が加わっているようである。特に、周南市街を見下ろす展望地の東北峰は伐採してあり、小屋らしきものも造られていた。こんな傾向は、どこか莇ヶ岳山頂の思惑と似通っているような。東北峰から照葉樹林に覆われた北尾根を下り、陶の道に出て駐車地点に帰着する。


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永源山公園より見る四熊ヶ岳


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福川駅通り交差点から国道489号線へ抜ける車道余地付近


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国道489号線から奥四熊・徳山CC方面への車道分岐


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羽山分岐付近より見る四熊ヶ岳


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車道峠にある送電線高架塔巡視路への取付付近


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取り付いて暫くは竹林の巡視路を行く


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巡視路を外れ西尾根直登状況


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巡視路を外れ西尾根直登状況


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西尾根上の送電線高架塔No.24


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高架塔・国鉄新徳山線No.24を過ぎ参道へ至る尾根状況


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西尾根の半壊した参道の祠や石燈籠等


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西尾根山頂直下の参道


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四熊ヶ岳山頂 2019/02/05 10:21
 三角点の傍らには旧海軍省の徳山要港境域標第二八号が立っている。連番が附ってあるということは、徳山要港防備図に載っている砲台及び照聴所・特設見張所等を囲む山には、このような境域標が立てられているのかも知れない。


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山頂の四熊ヶ岳神社


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四熊ヶ岳山頂南面の切り開き


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東尾根上段の鳥居・石燈籠等


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不動明王石像


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石像直下の岩壁(畳岩)


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東尾根中段の鳥居・石燈籠等


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奇岩が散在する庄原分岐付近


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見所ヶ原付近の尾根道


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鳥居と軍人墓が立つ見所ヶ原


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見所ヶ原、奉天会戦従軍兵卒の墓
 見所ヶ原鳥居の傍らには、先が尖った方錐形の軍人墓が南に向かって立っている。この墓は、日露戦争(1904-05)で日露の雌雄を決した最後の陸戦、奉天の会戦(1905/2/21-3/10)で戦死した一等卒の墓である。墓碑を読むと、あの「坂の上の雲」の主人公のひとりでもある騎兵少将の秋山好古が、日本軍を辛くも勝利に導いたと云う黒溝台会戦(1905/1/25-29)にも従軍されている。(山口歩兵第四二連隊が属する第五師団は、黒溝台会戦秋山支隊の援軍第八師団に増援される)その後、奉天会戦に転戦し奉天近郊の沙沱子であった戦闘(1905/03/09)で戦死されたと刻まれている。この沙沱子の戦闘は激戦を極め、山口歩兵第四十二連隊の死傷率三分の一という壮絶さであったと云う。将校伝令に発出した連隊副官及び連隊長までもが戦死するという戦況がその難戦を物語る。斯くも郷土のために異国の雪原に身を捧げて下さった英霊に捧げ筒!

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広谷登山口付近より見る四熊ヶ岳


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四熊ヶ岳を後背に水仙の花が石垣に垂れる


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暗渠より流出する金明水


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金明水付近の野面石積み


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広谷集落より見る四熊ヶ岳と棚田


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山陽自動車道跨道橋・広谷橋より見る富岡トンネル



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神代川を横切り広谷橋高架下付近で国道489号線に合流


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国道489号線側道より見る小畑小学校(廃校)を前景に四熊ヶ岳


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大神から新堤を経て国道2号線中溝交差点へ抜ける市道


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新堤付近より見るこれから登る嶽山


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国道2号線・中溝交差点付近(右後方・永源山)


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丸山歩道橋北詰にある嶽山平野登山口


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平野口登山道状況


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平野口登山道状況


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福川・温田口登山道分岐がある平野集落石鎚神社講祠小平地


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嶽山山頂 2019/02/05 14:01


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嶽山東北峰山頂


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東北峰より見る新南陽・徳山市街


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照葉樹林下の嶽山北尾根道


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小畑に抜ける陶の道鞍部、四叉路


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陶の道、小畑方面入口がある市道駐車余地に帰着


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周南大橋を前景に嶽山と四熊ヶ岳・法師ヶ岳


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四熊ヶ岳~嶽山周回、概念図


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嶽山とJR西日本105系電車


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亀ヶ岬より見る嶽山と山頂重なりの奥に四熊ヶ岳

恐羅漢公園線&恐羅漢スノーパーク。

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 昔呼びならわした内黒林道こと恐羅漢公園線を通り、恐羅漢スノーパークへ行く。この日は生憎と山頂周辺がガスに煙り、期待していたGood!ビューに恵まれなかった。また、このところ言い尽くされている暖冬現象ではあるが、今年は特にその現象が顕著に表れ積雪量が不足していた。おかげで、快適なスキーイングには決して良いSituationではなく、ゲレンデ所どころにブッシュが出ているところもあった。各コースの画像は、曇天モヤモヤの天候だから暗い感じがしており、モノクロのように見えてしまっている。合間に、オソラに来たからには山頂を踏まずに帰れようかとの思いで、恐羅漢山の山頂にも登った。この時期のオソラにしては雪が少なく、オソラが誇るブッシュなしの広大な雪原とモンスターは見られなかった。山頂標識テープによると積雪量55Cmを視認。

≪↓恐羅漢スノーパークへのアクセス 恐羅漢公園線(広島県県道252号線)≫
Ⅰ.恐羅漢公園線 戸河内バイパス西口交差点 明神橋
Ⅱ.恐羅漢公園線 逆S字急カーブ
Ⅲ.恐羅漢公園線 内黒峠
Ⅳ.恐羅漢公園線 砥石川山遠望 準雪道
Ⅴ.恐羅漢公園線 恐羅漢山遠望 二軒小屋恐羅漢橋
Ⅵ.恐羅漢公園線 二軒小屋白樺 十方山等登山駐車場 スノーパークロード
Ⅶ.恐羅漢公園線 牛小屋高原カヤバタ駐車場へのロード


≪↓恐羅漢スノーパーク≫
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コース案内板


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ヒエバタ第1コース


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ブナサカ第2コース上部上方より


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ブナサカ第2コース上部下方より


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ブナサカ第2コース中間


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ブナ坂第2コース中間下部より


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ブナ坂第2コース下部上方より


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ブナ坂第2コース下部下方より


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ブナ坂第2コース下部下方より


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ブナサカ第1コース


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ヒエバタ第2コース上部からブナサカ第2コース中間への連絡コース


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ヒエバタ第2コース上部


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ヒエバタ第2コース中間


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ヒエバタ第2コース中間を下方より


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ヒエバタ第2コース下部を上方より


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ヒエバタ第2コース下部下方より


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古屋敷コース

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立山尾根コース


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カヤバタ夏焼コース上部

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カヤバタ夏焼コース上部


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カヤバタ夏焼コース上部斜度


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カヤバタ夏焼コース上部斜面状況


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カヤバタ夏焼コース上部下方より


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カヤバタ夏焼コース中間下方より


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カヤバタ夏焼コース下部中間上方より


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カヤバタエコロジーコース上方より


【↓恐羅漢山山頂へ】

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ナツヤキノキビレからの登山路分岐点付近


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分岐から山頂への斜面状況 


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台所原分岐付近への上り 


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台所原への下り標識 


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恐羅漢山山頂到着 


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恐羅漢山山頂 2019/02/04 11:07


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恐羅漢山山頂積雪量 2019/02/04
恐羅漢山山頂からの展望


≪↓晴天時の恐羅漢スノーパーク≫

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旧国設スキー場側


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ブナサカ第1コース


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ブナサカ第2コース


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ブナサカ第2コース上部





油圧ショベルのサクションホースを交換。

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 里山暮らしの野良仕事には人力作業では仕事が捗らないことがある。例えば、除草・伐採後の後片付けや廃材等の処理に、量が多かったり運搬物が重たかったりするので、人力では非力と痛感することがある。そこで作業の効率化を図るため、ユンボとかバックホーと呼ばれる油圧ショベルを導入した。
 しかし薄給労働者にとっては、予算的に低価格の年代物の中古を買うを得ざらないため、何せ始動キーを回すとき、エンジンが掛かるかどうか不安になる。案の定、キーを回しても、うんともすんとも言わないことが不定期に発生し、電気系統の修理で業者を呼んだことが数回ある。これではせっかくのローバリュウー購入も台無しで、ランニングコストが嵩んで仕方がないところだ。
 で、この度も電気系統ではないが故障が起きる。駐機場所の土壌が油に濡れているのを発見し、建機の下に潜って点検すると何やらゴムホースから油が漏れていた。どこへ繋がっているのかホースの行き先を追っていくと、作動油タンクと作動油ポンプから延びる鋼管の中間を繋ぐゴムホースであった。そこで、作動油タンクの蓋を開けてみると作動油の量が減少していた。
 何でもこのゴムホースの名称は、メーカーサイトで調べてみるとサクションホースとかいうそうだ。タンクとポンプを繋ぐのに全て鋼管でもよかりそうなものだが、狭小なエンジン室内で鋼管を直角に繋ぐには流動性の問題から、直曲のゴムホースを使わざるを得ないようだ。
 油漏れの場所はポンプ側の鋼管とゴムホースを緊結しているホースバンドの部分からだった。さっそくバンドを締めるボルトナットを増し締めしようとしたが、もう目一杯で回せなかった。そこで、油漏れ部分の下に受け皿缶を置き、様子を見ることにした。しかし、数日後に受け皿缶を点検すると滴下した作動油が溜まっていた。ゴムホースをバンドで締める部分にひび割れが見られた。このまま使うと油圧系統に支障をきたすのでゴムホース交換の要に迫られた。そこで、ここは一発奮起し部品のみ注文して、セルフ交換に取り組んだ。
 
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ホース交換には影響ないが、暗いエンジン室での作業上、採光のため点検口を開けるべく運転席を外す。


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運転席後部の点検口を外した状況、これで少しは暗い作業場所に光が届く。この点検口はセルモーターやオルタネータの点検、またファンベルトの調整等に使う。


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序でに運転席下部の鋼板も外す。油圧配管等の点検が行える。


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作動油漏れ場所。


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ホースとポンプ側の鋼管緊結部分から作動油が滴下。


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作業前のエンジン室内。赤矢印がホースとタンク側を繋ぐバンド部分。


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バッテリー取り外し状況。


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ホース交換場所は手の差し込み難い位置にあるため、ラジエターを外す羽目になる。当然ながら、前作業としてクーラントを抜いておく必要がある。


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ラジエター取り外し。


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エンジン室内、ラジエター取り外し状況。奥に問題のサクションホースが見える。


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交換前の既設ホース。


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ホース取り外し状況。ホースには強い弾性があり、ホースを押し縮めて取り外すことは出来なかった。そこで、カッターで切り離し外す。当然ながら、前作業として作動油を抜いておく必要がある。


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既設ホースを取り外した状態。


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取付前の新品サクションホースとホースバンド。


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ホース交換後の状況。ホースには強い弾性があり、ホースを押し縮めて取り付けることは出来ず、、幅が決まっている鋼管端の間に取り付けるのが、本作業中でいちばん難しかった。そこで、ポンプ側鋼管の取付U字型ボルトナットを緩め、タンク側のボディ外板を利用し当て木で突っ張ってポンプ側のボディ外板に寄せ、鋼管端の間の幅を空けどうにか取り付けることが出来た。


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ホース交換後の状況。


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ホース交換後、ラジエターとバッテリを取付け、エンジン室内を復旧する。


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機体下部に潜り込み、ホース交換後の状況を見る。


円山、鹿野町大潮。

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 莇ヶ岳や弟見山へ行く途中、鹿野町大潮あたりで錦川を挟み左前方に小高い山を見るのが常だ。とても一日費やして登るような山ではないので、いつもやり過ごしてしまう。 
 だが、図体こそ小さいがなかなか形のよい山容をしており、しかも附近のごちゃごちゃした山並みから離れているので、独立峰の呈よろしく自分の領域を保っているかようだ。また、植林の域も多くなく自然林が残っているので、特に紅葉の頃には国道315号線を走る車窓から彩り豊かな裾模様を見せてくれる。
 先週、莇ヶ岳に行ったとき旧大潮小学校を過ぎたあたりで、錦川に架かる新原橋の袂に円山登山口の木板が目に入った。
 思えば円山に登ったのは数十年前だ。その時は登山道など知る由もなく、東南の桶山側から残雪期に藪を漕いで登った。たしか円山だけでは不本意だったらしく、西南側の鞍部に下って高鉢山797mに登り、その次に頂上から西南側の黒通川の谷に下り、最後には黒通山842.3mに登った記憶がある。
 そんな山歩きは今では到底考えられないことで、円山だけペースを落とし自重しながら登るのがやっとだ。
 目に付いた円山登山口案内板に誘導され新原橋を渡ると、直ぐに登山道入口があった。登山道は植林地内の明瞭な小径を辿り、折り返して山腹を斜行するあたりで落葉雑木林に変わり、北側の山頂附近では茅原を登るようになっていた。
 山頂からの展望は西南面に、やや色褪せた紅葉の高鉢山の尖峰が近かった。西北面には雀谷山から延びる飯ヶ岳が見渡せる。
 さらに目路を右に転位させると、北面には小河内山から続く尾根の向こうに、すくっとした三角錐の莇ヶ岳が印象的であり、その奥には弟見山が遠望出来る。
 莇ヶ岳から東へ派生した山口と島根との県境尾根は小峰峠へと撓んだあと、再び小峰山で盛り上がる。北面全面には小峰山から高岳にかけて顕著なピークのない県境尾根が鈍重に横たわっている。
 山頂南の岩塊付近には小さな祠があるが、どうも弘法大師に関係があるらしい。北麓の芋掘地区には大師信仰の謂れがあるらしく、地元のHPでは以下のように語られている。「大潮の芋掘地区に約100年前に大水害があり、山仕事に来ていた人達が、家に帰れなくなりこの円山で一晩を過ごし、翌日無事に帰れたそうです。それはきっと弘法大師のお蔭と地区の人達が思い、皆さんが協力して弘法大師の像を建てたと言われています。」


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柏木より見る錦川と円山648m


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円山登山道入口付近にある旧大潮小学校


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錦川新原橋、円山登山口


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新原集落、円山登山口


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登山路状況


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登山路状況


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登山路状況


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登山路傍のイロハモミジ


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円山山頂 2018/11/11 9:06


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円山山頂


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円山山頂 円山大師香炉廟


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円山山頂



≪円山山頂からの展望↓≫

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高鉢山797m


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小河内山871m・莇ヶ岳1004.0m・弟見山1085.1m・県境尾根915m


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小河内山871m・莇ヶ岳1004.0m・弟見山1085.1m


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小峰山929.7m


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飯ヶ岳937.1m


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県境尾根880~913m


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小峰山929.7m・山口/島根県境尾根・高岳962.2m


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大平より見る錦川と円山


莇ヶ岳、紅葉の県境尾根を辿る。

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 今年になって莇ヶ岳へは春に弟見山へカタクリの花を見に行ったときに寄ったから二度目だ。通算すると、おそらく自分のしがない山行のなかでいちばん登った山かも知れない。
 最初に来たときは莇ヶ岳の象徴ブナ林がチェーンソーの爆音もけたたましく伐採たけなわであった。その当時の伐採の名目は、伐採後に杉桧を植林し将来の建築資材の需要確保にあてるという林野政策であったらしい。その頃の登山愛好者は自然保護に熱烈な人たちが多く、莇ヶ岳のブナ林を守ろうという団体があったが、その活動は押し切られ東南面の山腹の広範囲が無残にもチェーンソーに蹂躙された。
 あれから数十年、伐採後の植林が生長し山腹を黒々と埋め尽している。伐採直後はノーマルルートを登ると朝日に輝く鎖場の懸崖や三角錐の綺麗な山頂が見えたものだが、今では二次林がすっかり生長し山頂部は見えなくなった。ただ、伐採後に登山路部分のみ植林されなかったので、二次林ではあるが新緑・紅葉と変化の富んだ自然林のなかを登ることができるのが救いだ。
 周南市三田川交差点から延びる国道315号線を北上し、鹿野の町へ入ると山々はすっかり錦秋の粧いであった。やがて、鹿野インター入口を過ぎ大潮に差し掛かると錦川を挟んだ狭隘な地形に変わり、前方に赤黄のモザイク模様に塗られた高鉢山の尖峰や小さな独立峰の円山が見られた。
 莇ヶ岳へは登山入口の石柱が立つ戸根橋で右折し、小河内集落の田園帯を抜け林道莇線に入り、一般的な登山起点である最奥の駐車余地に停める。今回はジョウジロウ沢に架かる小橋を渡り、ブナ尾根コースと呼ばれるらしい登山路を辿る。植林地の枝尾根を登り切ると、莇ヶ岳山頂東南面が望める展望地に出会う。山頂直下の鎖場付近は自然林が残されているが、山腹を埋める植林地が無粋であり、山容に優れる莇ヶ岳のよさを台無しにしている感がある。
 しかし、林業従事者にしてみればブナなんぞは字体のごとく無用木であり、彼らにしてみれば杉桧が有用木なのであり、植林してそれらを生産するのは産業発展から当然のことであっただろう。よく自然保護者が云う植林しておきながら後継者不足とか、低価格の外材が持て囃されているというのは後出しじゃんけんみたいなもので、今に言う資格はない。
 紅葉最盛期のヒットを狙っていたが、楓の朱は目立つがブナは落葉しており、残念ながら全体の色合いからしてやや遅きにあるとみる。仕事や所用がある身には時を選んで山へ行けるものではなく、タイミングよくヒットとはいかないのも頷ける。
 展望地から山口・島根県境尾根への合流は直ぐであり、伐採が避けられ風致林として残されたブナ尾根を山頂に向かって辿った。南に開けたところからはジョウジロウ谷を俯瞰し、莇ヶ岳南尾根から続く小河内山や、遠く後背に金峰山・石ヶ岳等の周防山地が逆光に薄煙っていた。登山路傍には亜高山帯の象徴であるブナが見られる。アクセスよく短距離で千メートル標高に来られブナ林が見られるのは貴重な場所である。
 三角錐の山容のよさもさることながら、やはり莇ヶ岳の莇ヶ岳たる人気の所以はこの植生にあるといえよう。ナラ・クヌギ等の落葉雑木林もよいが、やはりブナが加わると登る山の値打ちが格段に上がると思える。戦後の登山ブームの渦中にあった輩が、やれブナだやれ自然保護だと吹聴していたのも少しは分かるような気がする。
 山頂に到着すると、蒼空に排気スモークたなびく飛行機雲が数条仰ぎ見られ幸運な気分になる。西中国山地上空は相当航空路があるようである。地上を歩くことしかができない自分にしてみれば、空を飛べる人間もいるとは何とも格差があるものだ。彼らの才能努力の賜物であろうから羨むことなどはしない。帰路は松ノ木尾根を通り駐車場に下った。その途中の尾根道から以前は山頂がよく見えていたのだが、灌木が高くなり山頂はよく見えなくなっていた。


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国道315号線、戸根橋付近の莇ヶ岳登山口


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小河内集落


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林道莇線起点付近にある石鎚神社


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林道莇線、莇ヶ岳登山口駐車場付近


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山口・島根県境尾根へ至る枝尾根登山口


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枝尾根展望地から見る莇ヶ岳


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莇ヶ岳山頂


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登山道傍に立つ楓


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枝尾根と山口・島根県境尾根との分岐点


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県境尾根から見る山口県側の小河内山


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県境尾根道(通称ブナ尾根というらしい)


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県境尾根道から見る莇ヶ岳


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莇ヶ岳山頂


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県境尾根道


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県境尾根道


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県境尾根道


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県境尾根のブナ古木


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県境尾根道


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県境尾根道


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県境尾根道


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県境尾根道樹間より見る弟見山


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県境尾根道より見る莇ヶ岳山頂


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山頂直下の尾根道


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莇ヶ岳山頂北より見る弟見山


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莇ヶ岳山頂のブナ


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莇ヶ岳山頂 2018 11/5 11:45


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莇ヶ岳山頂より見る鈴ノ大谷山 後方は安蔵寺山


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莇ヶ岳山頂より見る飯ヶ岳


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莇ヶ岳山頂より見る寂地山・冠山・小五郎山


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莇ヶ岳山頂より見る大蔵ヶ岳


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莇ヶ岳山頂より見る県境尾根


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西中国山地上空の飛行機雲


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第三の鎖場より見る県境尾根


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第三の鎖場より見る県境尾根


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第三の鎖場より見るジョウジロウ谷 


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第三の鎖場


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第二の鎖場上の不動明王


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松の木尾根より見る莇ヶ岳

カエデ(楓)カエデ科カエデ属 落葉喬木

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 この稿を書くにあたって『日本植物図鑑』(保育社版)をあらためて見直してみたら、カエデ科は世界に二属一五〇種とある。その一属はもちろんカエデ属だが、もうひとつには触れていない。そこでカエデ属をみるとやはり一五〇種とある。してみると他の名のわからぬ属に属するものは、おそらく一~二種しかないのだろう。
 ついでに樹種の名を調べてみたら、○○カエデのようにカエデのつく名(A)三〇、イタヤのつく名(B)一四、モミジのつく名(C)八、その他五で、計五七。ひとつの樹種に複数の名を持つものもあるから、これは種の数ではない。種の数は三九。(A)の最多は当然だが(B)が(C)より多いのは意外だった。“イタヤ”とは“板屋”で板葺き屋根のように葉がおおいひろがり、雨も漏れない樹相からとのことだ。
 つぎに『山口県植物誌』によると、県内に自生するカエデ属は一四種。ただし寂地山など、ごく限られた山域のみに自生し<希>にランクされている七種を除くと、<やや普通>がチドリノキ、コハウチワカエデ(イタヤメイゲツ)オニイタヤ、<普通>がイロハモミジ(タカオカエデ)オオモッミジ、ウリカエデ、ウリハダカエデの七種。これらを葉の形で大雑把に大別すると、掌状に五~一三裂するもの、イロハモミジ、オオモミジ、コハウチハカエデ、オニイタヤの四種で、このうちオニイタヤは葉縁に鋸歯がない。三浅裂するもの、ウリカエデ、ウリハダカエデ。長楕円形のものチドリノキということになる。これ以上の細かな穿鑿は私にはなじまない。
 わが家の一〇坪ほどのボロ庭には二〇本余りのカエデがひしめき合っているが、この大半はイロハモミジで、数本のイタヤメイゲツとオオモミジが混在している。これらはすべて二〇~三〇年前、県内の山々から一〇~二〇Cmほどの幼木を採ってきたものだ。ブナ林のように林冠の閉じていて陽射しが林床まで届かない山腹に散見されるカエデの幼木は、成長することなく、いつのまにか立ち枯れてしまう、というのが私の間引きの際の弁明だ。

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 今年の紅葉前線はすでに始動している。十月上旬北海道から南下を始めた前線は間もなく県内を横切り十一月下旬に九州南端に至る。
 JR各駅の構内には「紅葉だより」も掲示されている。これによると県内では寂地峡、長門峡、石柱系の三ヶ所のみだ。私はむしろ多くの支流にわかれ様々な滝を秘めている木谷峡の紅葉が一番好きだ。これからもいえるが、乾燥を嫌い湿潤を好みながらも、なお陽光を恋うるカエデの名所は明るい渓谷沿いに多い。
 紅葉はたちどころに落葉につながる。“もみじ且つ散る”という長い季語があるが、“散りもみじ”はさらに“敷きもみじ”となり、“浮きもみじ”“沈みもみじ”ともなって初冬まで山や渓を彩る。“散り敷いて渓の底まで紅葉山”(山下幸子)の風致であり“林間酒をあたためて紅葉を炊く”(白居易)の情趣でもある。

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 カエデの類は、特に日本では観葉樹として親しまれ、多くの園芸品種が作られており、これは街の中の神社、仏閣や旧蹟、公園などの名所を飾っている。そのひとつ、山口市宮野の常栄寺の門前には“もみじして、落ち葉して呵々、朽ち葉かな”と刻まれた二蕉翁碑がある。自嘲とも達観ともいえる辞世の句だが、この二蕉庵紫沓は幕末期、幕府の隠密として長州に入り大村益次郎などにつきまとったといわれ、後年は山口の大内文化が忘れられずに宮野に庵をかまえ、大正八年に没したという。
 最後にもうひとつ数にこだわれば、園芸品種としてのカエデの種について、江戸期に出刊された『地錦抄』には一〇〇種、明治期の『品便覧』には二〇〇種が紹介されているという。

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