YMD特設ブログ所

アクセスカウンタ

zoom RSS 大津島高角砲台遺構。

<<   作成日時 : 2008/12/03 19:00   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

画像



 戦時中、徳山要港を取り巻く山々に構築されていたという防空砲台の遺構を探訪すべき大津島に渡る。徳山港より乗った高速船「鼓海U」は、性能に違わずウエーキを立ててぐんぐん進み20分足らずで馬島に到着。資料によると防空砲台は、大津島中央部に位置する174独標・大津山、通称「砲台山」の頂に築かれていたという。馬島より東海岸沿いの車道を刈尾に向かって北上し、「砲台山」への標識がある暗い枝道を黙々と辿ると兵舎跡に着く。こういう場所はきっと藪に閉ざされて道が不明瞭だろうと冬の落葉時期を狙って訪れたのだが、あにはからんや当所はほとんど林間の舗装道を歩くことになる。たぶんこの車道は、砲台築造に必要な資材や備砲を運搬するための工事用道路であったのだろう。車道終点の兵舎跡と云われる場所は、建物の基礎部分の痕跡が見受けられるだけであり、当時のよすがを知るよしもない。近年、兵舎跡の平地に御影石のオブジェやベンチが置かれ、公園化されている。東側の切り開きから眼前に黒髪島が迫り、湾の遠方にはプラント群や徳山市街が望見できる。防空砲台遺構はそこより南へ数百メートル登った小高い丘にあった。砲座遺構は草生しているものの、予想に反して原型を崩さずによく保たれていた。この山には海軍第三燃料廠をはじめとする徳山要港地帯の軍事重要施設を掩護(特に、対空防備警戒)するために、12.7センチ連装高角砲を主兵装とした海軍徳山警備隊第14分隊が配備されていたそうだ。(旧海軍では高射砲のことを高角砲と呼び、陸軍の場合はそのまま高射砲と呼ぶ)砲座跡は逆円錐状のコンクリート胸壁を有し、GLよりマイナス1.5〜2メートルのところが砲床で、中央部の砲架が載せられていた部分は空洞だったらしいが土が堆積している。この立穴は、側防壁に設置された庫室から砲床芯に向けて暗渠が穿たれ地下で通じている。推測するに砲軸下部摺動部の整備点検、及び電源から電線を敷くための電路かと思われるが、何の用途かは不明。側防壁円周の切り欠き部は、すぐ給弾できるよう戦闘配置時における弾薬包仮置場であろう。手前の砲座跡傍には射撃指揮所のようなコンクリート直立方体が並立しているが、猛烈な竹藪の中に立っているので構造を調べようにも近寄り難い。防空砲台とは対空火砲を用いて航空機の撃墜にあたるもので、ただ単に砲台と呼ぶ場合は海面砲台を指し榴弾砲や加農砲を装備し目標は艦船である。また、陸側からの攻撃に備えた砲台は堡塁と呼び区別する。二基残存している砲座跡は運用当時において、方向射界360度を確保していたようだが、現在は竹木が密生し僅かに東北方面樹間越しに徳山湾が望まれるだけである。


大津島探照燈台探訪編⇒http://nrck-ymd.at.webry.info/200912/article_1.html

大津島回天基地編⇒http://nrck-ymd.at.webry.info/201006/article_2.html


画像

                    大津島全景


画像

                大津島巡航船より見る砲台山


画像

                  山頂肩北面の兵舎跡


画像

                  兵舎跡より徳山湾方向


画像

                竹藪に埋もれる射撃指揮所?


画像

                  174ピーク北側の砲座跡


画像

                  174ピーク北側の砲座跡


画像

                 174ピーク北側の砲座跡全景


画像

                  174ピーク南側の砲座跡


画像

                  174ピーク南側の砲座跡
 

画像

                 174ピーク南側の砲座跡全景



 最近、終戦後間もない頃の、まだ高角砲が撤去されてない備砲状態の写真を見た。それは島の小学生が見学に訪れている際に撮られたとされる。砲郭に据えられた12.7センチ連装高角砲は、旧日本海軍の主要な艦に搭載されていた「四〇口径八九式一二糎七連装高角砲」を防空砲台に転用したものである。この高角砲の砲弾は薬室に装填する直前の架台に載せた時に(どういう機構かよく分からないが)信管が、あらかじめ高射装置で算出した秒時に空中炸裂するよう自動調定されるものらしい。弾体を直接命中させるよりは、弾片を散らし面で標的を捉えるほうが当たる確率は高くなるというものだ。だが、それとて有効半径内で被弾させなければ撃墜に至らせるのは無理らしい。徳山空襲の際、当高角砲は投弾中のB−29爆撃機に向かって咆哮したそうだが、米軍側の記録が「貧弱なる重高射砲陣地」と揶揄するように、撃墜はおろか損傷した機は一機もなかったという。もっとも、高速で飛ぶ航空機に命中させる確率は何百発分の一ぐらいといわれ、対空射撃が容易でないこともあったろう。余談ながら米軍の高角砲弾はVT信管といって、弾頭に組み込まれたレーダーが飛翔中の機体を感知すれば爆発するようになっている近接信管(可変調定秒時)であったという。これにより日米双方の対空砲火の効果は歴然の差があり、大戦後半にもなると日本機のほとんどは射点に入る前に撃墜されたという。


画像

        現地に設置の12.7センチ連装高角砲と砲郭のイラスト図
        (高角砲の図はほとんど間違って描かれている)


【40口径89式12.7センチ高角砲】
口径:127o 
砲身長(筒長):127o×40=5,080o 
初速:720m/s 
最大射程:14,622m
最大射高:9,439m 
発射速度:14発/m(人力装填)
俯仰角:−8度〜+90度
施條:右施條・28口径(筒長4,396mm)で1回転
動力:電動及び人力 
俯仰速度:12度/s(電動) 3度/s(人力)
旋回速度:6度/s(電動) 3度/s(人力)
重量:20.5t(連装砲架型の場合) 
弾薬実包:970.8o(全長) 34.4kg(全重量) 
23.0kg(弾頭) 1.778kg(炸薬) 4.0kg(装薬)
要員:11名

画像

  12.7センチ連装高角砲と掩体砲座(大津島巡航船馬島港待合所に掲示)


画像

                  12.7センチ高角砲弾


 今のように建設機械が発達していなかった時代、山頂を開削して砲台を構築するのは難工事であっただろう。おそらく工事の大部分は警備隊派遣の築城隊、あるいは徴用工や民間挺身隊などの人海戦術によって施工されたと思われる。当然、島には生コン工場もなかったであろうからセメント・骨材を運搬し現地練りで打設されたに違いない。大津島といえば人間魚雷「回天」発射訓練場跡があまりにも有名であるが、その影に隠れ劣勢な戦時のもと郷土防空の任に当たった軍民の労苦を物語る、もうひとつの遺構があったことを記憶に留めて置きたいものだ。


≪大津島防空砲台≫

位置:周南市大津島笹尾大津山山頂(地図上の174独標)
工期:昭和16年11月〜17年5月
部隊:徳山警備隊第14分隊
     (昭和19年10月20日、呉警備隊徳山分遣隊より独立)
装備:40口径八九式12.7センチ連装高角砲2基
     (昭和19年11月、40口径三年式8センチ単装高角砲2門を改装)
    13ミリ単装機銃一丁
    九六式4.5m高角側距儀1組
    二式陸用高射装置
    砲側弾薬筐16個
    九五式150センチ探照燈(100v)一基
    60KVA60サイクル3相配電盤付ディーゼル発電機械1基
    陸上用石油空気圧縮喞筒
    起動気蓄器1基 セレン充電器・整流器各1基 蓄電池2基
編成:士官1名・少尉(砲台長兼第14分隊長) 
     昭和20年4月当時の砲台長、田中芳夫少尉
    准士官2名・兵曹長(大津島砲台附兼第14分隊士) 
     昭和20年4月当時の分隊士 藤田源之助兵曹長 
    下士官・兵51名 合計54名 



「徳山への空襲」
 昭和20年5月10日、午前10時過ぎ豊後水道上空より米軍B−29爆撃機約80機の編隊が襲来し、第三海軍燃料廠・大浦油槽所、そして徳山鉄板工場の一部などの軍需施設が周到に偵察されたうえで高精度爆撃を受ける。そのため燃料廠・油槽所ともは壊滅状態に陥って機能は全く麻痺し、人的被害は死者五百数十名・重軽傷者一千名に及んだといわれる。続いて7月26日午後11時過ぎ、ついに空襲は軍需施設群に留まらず一般家屋を含む市街地にも及び、3機編隊のB−29約100機が無情にも多数の焼夷弾や通常爆弾を投下し、非戦闘員である市民に多大の犠牲者を出した。空襲は翌27日午前0時過ぎにかけて実施され、市街地の約90%が一夜にして焼野原になったという。この空襲による徳山の被害状況は罹災面積108万坪、戦災家屋4,622戸、うち全焼4,590戸、半焼32戸で罹災人口16,512人、うち死亡者482人、負傷者469人であったという。




≪以下は砲台山からの帰路、回天基地跡を見学≫

画像

                    馬島港


画像

                回天記念館エントランス


画像

           回天記念館前庭に展示されし回天レプリカ


画像

                   回天機関部


画像

                 九三式酸素魚雷機関


画像

          旧魚雷調整工場関連施設(危険物保管掩体壕?)
  

画像

            旧魚雷調整工場関連施設(信管調整室?)


画像

               回天訓練発射場に通じる隧道内部


画像

                回天発射訓練場跡側の隧道口


画像

              鬣山(たてがみやま)と回天発射訓練場


 回天発射訓練場は、もともとの施設であった九三式酸素魚雷発射試験場を流用したものという。その台場となる構造物は、直接当地で型枠を組みコンクリートを打設したわけではなく、内務省大分築港事務所にて製作されたケーソン(コンクリートの函)を大分港より曳航し、現場にて沈設施工されたという。

◇大形ケーソン8基 重量700t 幅7.5m 長さ12.0m 高さ10.0m 喫水4.5m(海面から構造物底面まで)
◇小形ケーソン5基 重量72t 幅4.0m 長さ5・0m 高さ5.2m 喫水4.5m

 昭和13年10月から昭和14年10月に亘って、3隻の曳船(100馬力・120馬力・400馬力)により、海上に浮かべたケーソンをワイヤーロープで牽引し、およそ30時間かけて馬島港まで曳航運搬したそうだ。



画像

              馬島より俯瞰する回天発射訓練場


画像

                  回天発射訓練場と桟橋



画像

            回天発射訓練場ケーソン(背景の山は大平山)




≪大津島渡航船≫

画像

                      「鼓海U」


画像

                 湾内を航走せし「鼓海U」


画像

                   フェリー「新大津島」


.



テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
大津島高角砲台遺構。 YMD特設ブログ所/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる